2019年04月23日

意見陳述(結婚の自由をすべての人に訴訟)

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4/15東京地方裁判所第103号法廷で、「結婚の自由をすべての人に訴訟(同性婚訴訟)」の原告として意見陳謝をした。
自分が法廷に立つ日が来るなんて、思ってもみなかったが、この歴史的な裁判の一員になれたことは、とても光栄に思う。応援してくれる人や関心の高さからか、傍聴席は抽選になり、満席だった。
冒頭、メディアの取材が入り、2分間映像を撮った。さぁこれからというタイミングで、法廷内が静まり返り、ただただ時間を待った。2分間は思いの外長い。そして緊張感を煽る。報告会でも話したが、僕はこの時が一番緊張した。
裁判長の第一印象は、手強そう。僕はトップで話すので、気を引き締めた。
いくつかの段取りが済むと、早速僕の番となった。原告席の椅子とテーブルの位置が狭く、証言台に行くのに苦労した。どう振る舞って良いのかがわからなかったので、何となく傍聴席と裁判長に向けて会釈した。

(意見陳謝全文はサイトでご確認ください) ※call 4 訴訟資料の中にあります
100人以上の視線と気持ちが、僕の言葉に集中していることを感じた。弁護団と打合せをして、練った文章だが、ゆっくりと大きな声で話すことだけを心がけた。5分以内という制約があったが、それを気にすると、早口になると思い、頭から消した。それらのことに集中したので、自分でも驚くほど穏やかな気持ちで始められた。
読み始めると、裁判長の視線が、僕に向けられていることを感じる。犯罪裁判などで、判決が出た後、裁判長がこれからの人生について、心温まる言葉をかけるシーンがあるが、その時と同じような、温かいまなざしを感じた。
そして裁判長のオープンマインドにも後押しされたが、その場にいる原告の仲間たち、弁護団のみなさん、傍聴席にいる人たち、また全国で祈ってくれている人たちの、温かいエールを心の中で感じていたせいか、手が震えることもなく、無事に読み終えたのである。

席に戻って、今日登場するもう一人の原告、小野春さんの陳述が始まる。集中していたので、気づかなかったが、傍聴席のあちらこちらからすすり泣きが聞こえた。今こうして前に立っているが、過去には悲しい経験やつらい経験をしている。同性の婚姻を認めて欲しいと思う一方で、社会に根強くある差別・偏見を少しでも少なくしたいという思いがあるから、原告になった。意見陳述にはそれぞれのカップルの経験してきた思いが詰まっている。たぶんあの場にいた人たちは、意見陳述と自分の経験を重ね合わせていたのだと思う。
弁護士の言葉も、胸にぐっときた。加藤弁護士の「友人のゲイ男性も自ら命を絶ちました」のところと、中川弁護士の「国は、この裁判でどんな「理由」を持ち出すのでしょうか。しかし、国がどんな理由をくり出しても、そのたびに、社会と世界の現実がたちはだかります。その矛盾に立ち往生するはずです。合理的な説明などできないことは、世界の国々で証明され、決着済みです。それでも国は争い続けるのか。もしそうなら、「同性を愛するものと異性を愛する者は、人として序列がある。だから、差別し人権を否定する」そう言わざるを得ないのです。しかし、憲法はそんな主張を絶対に許しません。」の言葉には、涙なくして聞けなかった。

まだまだ始まったばかり、これかも応援をしていただけると嬉しいです。

BuzzFeed News
丁寧な記事です。
posted by いく at 03:05| Comment(0) | 同性婚訴訟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月15日

口頭弁論が、もう今日になりました。

3/25に還暦を迎えました。皆さんから温かな言葉やプレゼントをいただいて感謝しています。
年度末年度始めに当たり、多忙な日々を過ごしていて、お礼が大変遅くなりました。

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花束やペアもののプレゼント

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還暦だけに赤いものもありました。

今年は、すべての人に結婚の自由を訴訟(同性婚訴訟)の原告になるという、新たな一歩を踏み出しました。折角この世に生を受けて、ゲイとして生まれたこと。糖尿病になったこと。エイズを発症したこと。HIV 陽性者であること。人工透析を受けていること。そのすべてに感謝しています。

お陰さまで、今は幸せな毎日を過ごせていること、それは貴重なことだと思っています。

でもここにたどり着くまでには、苦しんだことも、悲しいことも、悔しい思いも、死にたい気持ちも、いろいろと経験しました。今、ここに生きていることは、奇跡なんだと思います。

ひとつ後悔が残るとしたら、若い頃に、誰がなんと言おうと、自分らしく、自分のやりたいことを選択していたら、もっと違う人生があったかもしれないということです。

自分がゲイとして生まれたことで、長い間、いけないことだと、恥ずかしいことだと、否定的な感情と共に過ごしてきました。次の世代の人たちには、そんな思いをして欲しくない。そのために何が必要か、やはり法律や社会制度の中で、認められることではないかと思っています。

もうひとつは、根強く残るHIV / エイズへの差別・偏見です。診療拒否、施設への入所拒否、会社でも、学校でも、地域でも、理解は進んでいません。僕が原告として発言する、その裏には、必ずHIV のことがあります。HIV 陽性者のことをすこしでも理解してほしい。そんな気持ちを持って望みます。

表だって応援しなくてもいいです。心の中でそっと応援していただければ、その思いはきっと大きな力になりますから。

明日の9:30から傍聴券の配布があります。たぶん抽選になると思います。
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posted by いく at 01:16| Comment(0) | ぷらっといく。…日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月04日

190304「あの日の後悔と親孝行」

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あさイチに安田顕さんが出ていて、最新作「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」について話していた。タイトルが衝撃的で、少し目をそむけたくなった。が、タイトルに反して、深い物語だと感じ、興味がわいた。倍賞美津子さんの母親役も見てみたい。紹介映像だけで、泣けてきた。

安田さんが話していたのは、「母親は、子供が生まれてきただけで、それが親孝行と言うが、自分は何もしていない」みたいな文脈だったと思う。

僕の母は、乳がんを患って、5年生存説をクリアして、通院間隔を空けた後、肺がんが再発して、闘病の末、54歳という若さで他界した。今僕はその年齢を超えたが、とても早い死は無念だったろうなと思う。一番下の妹がまだ成人していなかった。

乳がんの手術を受けることになった時、僕は大学生で、卒業間近だった。8月の手術だったと思う。丁度、学生時代最後の夏休み。友人と北海道旅行に行くつもりで、計画を立てていた。母のことがわかった時は、一大事だと感じて、旅行に行かないと宣言したものの、心の中では北海道旅行に惹かれている自分がいた。出発予定日が近づいたとき、母に「こんな機会は最後かもしれない」と泣きついて、結局行くことにした。親孝行どころか、そんな時にまで、母に甘えていた。片胸の全摘だった。後で聞いたことだが、あんなに強い母が、手術前夜、ベッドの中で泣いたそうだ。そんな時にそばにいなかった。

手術が無事に終わって、数年たった頃、母の口からこんな言葉を聞いた。「いく、手術の後の傷口を見るか」慌てて「見たくない」と答えた。あの時の母は、どんな思いでその言葉をかけたのだろう。僕は意気地なしで、傷口を見ることが怖かった。還暦が近くなった今なら、見せてもらうだろうし、その傷口にそっと手を当てたり、頬を寄せるかもしれない。僕自身もいろいろな経験をして、少しは相手の痛みをわかることができるようになった。あの時の母は、僕にその姿のままを受け入れて欲しかったのだろうと思う。けれど、それを無下に断った。でも冷静に考えると、あの当時の僕では、その母の痛みを受け止めきれなかっただろう。見た後で、母が一番悲しむ言葉や態度を見せてしまったかもしれない。

しかし母が亡くなった後、僕はずっと、あの日、母の無くなった片胸を見なかったことを後悔していた。自分が成長するに従って、その後悔は大きくなっていたような気がした。15年くらい前に知り合った女性が、僕の母と同じ頃に、同じ病院で手術を受けていたことを聞いた。そして僕の後悔を話した。その方の言葉が心にしみた。
「いくさん、それで良かったんじゃない?見なかったことがお母さんへの優しさだったんじゃない。お母さんも息子に傷口を見られるよりも、綺麗なままのお母さんを覚えていてもらった方がいいと、私は思うわ」

何だか心の中にわだかまっていた、つらい思いがスーッと楽になった。でもあの時は、本当に怖がっていただけなので、偉そうなことは言えないが、もしも母がそう思ってくれていたなら、それでよかったのかもしれないと思った。僕が母にできた親孝行は、海外旅行のお土産に、黒真珠を買ってきたことくらい。母は喜んでくれていたけれど、今でも生きていたら、本当の意味での親孝行ができたと思う。
それは、僕のゲイがばれたとき「お母さんの育て方が悪かったの?それとも糖尿病が影響しているの?」という母の自責の言葉に、「ただたまたま好きになった人が、男性だっただけだよ」とごまかした。今なら「お母さんは何も悪くない。そして僕も悪くない。ただ僕がゲイだったというだけだよ」ときちんと話せる。「お母さん、僕をゲイに生んでくれてありがとう。素敵なパートナーに恵まれて、本当に幸せだよ」と天国に向かってつぶやいた。
posted by いく at 01:11| Comment(0) | ぷらっといく。…日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする