2019年03月04日

190304「あの日の後悔と親孝行」

母の若かりし頃.jpeg

あさイチに安田顕さんが出ていて、最新作「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」について話していた。タイトルが衝撃的で、少し目をそむけたくなった。が、タイトルに反して、深い物語だと感じ、興味がわいた。倍賞美津子さんの母親役も見てみたい。紹介映像だけで、泣けてきた。

安田さんが話していたのは、「母親は、子供が生まれてきただけで、それが親孝行と言うが、自分は何もしていない」みたいな文脈だったと思う。

僕の母は、乳がんを患って、5年生存説をクリアして、通院間隔を空けた後、肺がんが再発して、闘病の末、54歳という若さで他界した。今僕はその年齢を超えたが、とても早い死は無念だったろうなと思う。一番下の妹がまだ成人していなかった。

乳がんの手術を受けることになった時、僕は大学生で、卒業間近だった。8月の手術だったと思う。丁度、学生時代最後の夏休み。友人と北海道旅行に行くつもりで、計画を立てていた。母のことがわかった時は、一大事だと感じて、旅行に行かないと宣言したものの、心の中では北海道旅行に惹かれている自分がいた。出発予定日が近づいたとき、母に「こんな機会は最後かもしれない」と泣きついて、結局行くことにした。親孝行どころか、そんな時にまで、母に甘えていた。片胸の全摘だった。後で聞いたことだが、あんなに強い母が、手術前夜、ベッドの中で泣いたそうだ。そんな時にそばにいなかった。

手術が無事に終わって、数年たった頃、母の口からこんな言葉を聞いた。「いく、手術の後の傷口を見るか」慌てて「見たくない」と答えた。あの時の母は、どんな思いでその言葉をかけたのだろう。僕は意気地なしで、傷口を見ることが怖かった。還暦が近くなった今なら、見せてもらうだろうし、その傷口にそっと手を当てたり、頬を寄せるかもしれない。僕自身もいろいろな経験をして、少しは相手の痛みをわかることができるようになった。あの時の母は、僕にその姿のままを受け入れて欲しかったのだろうと思う。けれど、それを無下に断った。でも冷静に考えると、あの当時の僕では、その母の痛みを受け止めきれなかっただろう。見た後で、母が一番悲しむ言葉や態度を見せてしまったかもしれない。

しかし母が亡くなった後、僕はずっと、あの日、母の無くなった片胸を見なかったことを後悔していた。自分が成長するに従って、その後悔は大きくなっていたような気がした。15年くらい前に知り合った女性が、僕の母と同じ頃に、同じ病院で手術を受けていたことを聞いた。そして僕の後悔を話した。その方の言葉が心にしみた。
「いくさん、それで良かったんじゃない?見なかったことがお母さんへの優しさだったんじゃない。お母さんも息子に傷口を見られるよりも、綺麗なままのお母さんを覚えていてもらった方がいいと、私は思うわ」

何だか心の中にわだかまっていた、つらい思いがスーッと楽になった。でもあの時は、本当に怖がっていただけなので、偉そうなことは言えないが、もしも母がそう思ってくれていたなら、それでよかったのかもしれないと思った。僕が母にできた親孝行は、海外旅行のお土産に、黒真珠を買ってきたことくらい。母は喜んでくれていたけれど、今でも生きていたら、本当の意味での親孝行ができたと思う。
それは、僕のゲイがばれたとき「お母さんの育て方が悪かったの?それとも糖尿病が影響しているの?」という母の自責の言葉に、「ただたまたま好きになった人が、男性だっただけだよ」とごまかした。今なら「お母さんは何も悪くない。そして僕も悪くない。ただ僕がゲイだったというだけだよ」ときちんと話せる。「お母さん、僕をゲイに生んでくれてありがとう。素敵なパートナーに恵まれて、本当に幸せだよ」と天国に向かってつぶやいた。
posted by いく at 01:11| Comment(0) | ぷらっといく。…日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月24日

190223「同性婚の原告になった思い」

IMG_20190215_150129_822.jpg
[アフターパーティでスピーチしている画像]

2019年、平成最後のバレンタインデーに、「同性婚が認められないのは違憲である」という訴訟の原告となって、訴状を提出してきた。原告になった思いを書いた。

男性に興味がある、その姿にドキドキする…と思い始めたのは、中学生の頃。あの当時は、インターネットもなく、テレビやラジオ、本や雑誌から情報を得る時代。学校では、勿論同性愛のことなど、教えてくれなかった。
僕の心の底から沸き上がる男性への不思議な気持ち、でもそれは間違いだ、いけないことだと思っていた。周りから聞こえてくるのは、「オカマ」とか「ヘンタイ」という言葉だけ。高校生になっても、大学に入っても、自分が男性を好きだったことは、肯定できずに、ひた隠しにしていた。結果として、昼の顔と夜の顔に僕自身が分離されていったのだ。
30代になって、出会ったbreakthroughテクノロジーという自己探究のセミナーに参加して、やっとゲイとして生きることを見つけることができた。200人もの人の前で、自分はゲイだとシェアしたら、拍手で讃えてくれたのだ。本当に嬉しかった。

原告になった理由のひとつは、僕が若い頃に感じたような気持ちを持たなくて良い社会、どんなセクシュアリティでも明るい未来を描ける時代にしたい。若い世代のセクシュアルマイノリティの人たちが悩み、自死を選ぶことがないようにしたい、という思いからだ。
もう一つは、僕はHIVとともに生きている。糖尿病もあるし、人工透析もしている。感染症などにとても弱い存在。HIVは薬が良くなって長生きできる時代になったけれど、3月で還暦を迎える。人生の終わりが近くなって来ていると感じている。勿論、できるだけ長く生きられるように頑張っていくが、天国に旅立つ時に、パートナーに手を握られて逝きたい。考えたくはないが、もしもパートナーが先に逝くことがあれば、その時最期に手を握っているのは僕でありたい。そんな思いからだ。
病院は、本人の意識が無くなったら、血縁の家族や親族を探すだろう。パートナーのことを周りに話していない場合は、死に目にも会えないかもしれない。愛する人のこの世の最期に一緒に入れないなんて、悲しい。また僕らの場合は、マンションの名義がパートナーになっているので、住み家を失うかもしれない。同性同士でもそういうことがない社会にしたいと思ったからだ。
ふたりは男同士という以外、男女の夫婦と変わらない時間を共有している。一緒に食事をして、隣で寝て、病気になったら看病し、一緒に音楽を聞いたり、映画やドラマを観る。時には旅行に出かける。そんな毎日。一年一年、一つずつ歳を重ねている。

最後に記者会見で話したスピーチを紹介したい。パートナーのよしの文は、僕が代読した。
「原告のよしです。顔出ししないで、原告になっていますが、本当はパートナーと一緒に、いつも通りに並んでいたいのですが、それができないのが現状です。でもこの裁判で勝って、最後には顔を出して、笑って終わりたいと思います。」
「隣にいるはずの僕のパートナーが記者会見にはいません。会社や家族にカミングアウトしていないからです。僕も30代くらいまでゲイであることを、隠して生きていました。ゲイであることはおかしいこと、いけないことと思って、ずっと生きていたのです。学校や会社では本当の自分のことを話せなくて、苦しかった。生きていく上で「居場所」がなくなること、「つながり」が失われることが、一番きついです。今はオープンにして生きていますが、あの時と同じような気持ちを、若い世代の人たちに感じて欲しくない。そう思って、原告になりました。
僕はHIVに感染しています。服薬をすることで長生きができる時代になりましたが、それでも「死」が近くにあると感じながら生きています。僕が天国に逝く時、最期のお別れを最愛の人と手を繋いで迎えたい。臨終の場には家族しか入れないので、その願いは今のままでは、叶えられないかもしれません。ぜひ応援してください。佐藤郁夫」
posted by いく at 04:51| Comment(0) | +@…陽性者の視点から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月06日

190104「婚姻届提出」

5年前に友人の同性カップルが「婚姻届」を役所に提出した。
その勇気ある行動に励まされたし、僕らもいつかしたいと思っていた。

2019年1月4日、よしとふたりで婚姻届を提出することができた。
今の日本では、同性婚が認められていない。
一部の自治体で、パートナーシップとして認める動きがあるけれど、
法的な拘束力があるものではない。

今年の2月中旬に、同性婚ができないことは、
「日本国憲法第十四条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地に
より、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」
に反すのではないかという、国の賠償責任を問う裁判が各地で始まる。
いろいろと悩んだけれど、僕らは集団訴訟の原告の10組のうちの1組として、立ち上がることにした。

NHKの取材が入ったため、事前に同性の僕らが婚姻届を提出することは役所に知らされていたが、
当日の窓口の係員の対応は、素晴らしかった。
先ずは、婚姻届にサッと目を通し、必要事項をチェックした上で、
免許証での本人確認のため、相方にマスクを外すように声をかけた。そして呼び出されるまでしばらく待機。

長い待ち時間が続く。僕の心の中は、不安と期待が入り混じっていた。
あまりに長いので、「もしかして認めますって、言われたりして」と、
そんなことは決してないのに、そばにいる人たちと話していたりもした。

窓口に呼びだされた。係員は、不受理の理由について説明してくれた。
書類上に不備があったので、それは修正することにした。
それで不受理になる理由が、婚姻届が同性カップルによって提出されたことだけとなった。
区役所としての判断を添え、郵送されるとのこと。区長印も押されているという。

続いて、係員が「婚姻届を提出された証として、結婚記念カードを発行できますが、どうなさいますか」と。
僕は「いただけるのですか。ぜひお願いします」と答えた。
そのカードには「ご結婚おめでとうございます。」の文字があり、
婚姻届提出日 ’19.1.-4 ○○区 というスタンプが押されていた。
係員の目は、やさしく微笑んでいて、ふたりの顔をしっかりと見ていた。
その目の奥に、今の日本国憲法の判断では、婚姻届は不受理になりますが、
私はあなた方を祝福しています。精一杯の気持ちですと書いてあったように感じた。ウルッとした。

不受理って、大きな壁で、冷たい響きがしていたが、
実は現場サイドでは、同性の婚姻について様々な意見があるのかもしれない。
今回、提出してみて感じたことは、婚姻届って、こういうことなんだ。
社会で認められることって、大切だな。結婚記念カードだけでもこんなに幸せになれるのだから、
国から本当に婚姻を認められたら、きっと号泣してしまうに違いない。
他の9組も婚姻届を提出すると思う。同性という理由で婚姻ができない不平等が、社会の問題になれば嬉しい。
5年前のふたりも同じような気持ちだったのだろうか。やっと続くことができた。

DSC_0063.JPG
posted by いく at 07:26| Comment(0) | ぷらっといく。…日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする