2017年05月08日

「故郷を帰れる街にしたい」東京レインボーパレード

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「故郷を帰れる街にしたい」青森の友人、翔子さんの言葉である。
先月、青森のレインボーパレードを歩いたとき、東京のそれとは違う緊迫感を感じた。
表に出るということは、批判や攻撃も全部引き受けることになる。
想像を超える批判や攻撃が押し寄せ、潰されそうになることもある。
地方はその圧力が強い。だからこそのメッセージ。
そのメッセージが消されてしまった。
(詳しくは公式HPで。http://tokyorainbowpride.com/news/notice/4177

東京レインボーパレードの共同代表も友人で、このままにしておけなかった。
この出来事をお互いの活動にとって一番良い形にするには、どうしたら良いか。
僕の答えは、そのプラカードを持って、東京のパレードを歩くということ。
そこで翔子さんの意向を聞いて、持って歩くことを提案した。
結果として、僕らに託してもらうことになった。
僕らと同じように考えていた人は、大勢いて、
「故郷を帰れる街にしたい」のプラカードをいくつも見かけた。
プラカードを見て、「青森の?」「翔子さんの?」と声をかけてくれたり、
記念撮影をして、翔子さんに送りたいという人たちが多かったこと…。
メディアの人たちにもこの言葉は響いたようだった。
https://mainichi.jp/articles/20170507/k00/00e/040/184000c

4番目「LGBTの家族と友人をつなぐ会」のフロートを歩いた。
沿道からもいっぱいの応援をもらったが、
一緒に歩いている人たちにも青森の思いを伝えたかった。
23番目のフロートが到着するまで、GOALでプラカードを持って迎えることにする。
何人の人たちとハイタッチをしただろう。こんな経験は初めてだった。
自分たちのために歩くことも大切だが、
こうして誰かの思いを抱きながら歩くことって、もっと大切なのかもしれない。
パレードに参加できない人たちや、
当事者でもパレードに反対の人たちもいる。
故郷で生きづらく、都市に出てきている人たちもいる。
故郷を出ることができない環境で、辛い思いを抱えている人たちもいる。
東京に住んでいたって、本当に自分らしく生きられていない人たちもいる。
その人たちも含めて、生きやすい社会を目指さなければ、パレードの存在意義は薄れる。
そうでなければ、LGBTはブームで終わるだろう。

東京のパレードは、東京の人たちためだけのものではない。
そのニュースは、全国、いや全世界に届いている。
だからこそ故郷がある人にとっても、東京が故郷の人にとっても、
「故郷を帰れる街にしたい」は大切なメッセージだったのではないか。
このプラカードを見て、涙が止まらなかった人がいたと聞いた。
そう感じてくれた人が一人でもいたことは、歩いた甲斐があった。

しかし未だに「故郷を帰れる街にしたい」が外された意味がわからない。
ひとつだけ外すということはあってはならないことだと、僕は思う。

(企業の参加も多かった。「RENT」でお世話になっているシアタークリエの小嶋さんと)
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posted by いく at 04:02| Comment(0) | ぷらっと呟く。…つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月30日

ぷらっといく。青森レインボーパレード

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2017年4月23日、
4回目を迎える青森レインボーパレードを応援するために僕は青森にいた。
お昼頃、パラッと雨が落ちてきたので、心配したが、気持ちのいい天気だった。
パレードを始めたのは、友人カップル。DSC_0283.JPG
最初の年は、3人で歩いた。地元の風が冷たかったと聞いている。
2年目が24人、昨年は45人。そして今年は101人だった。

駅前に着いたとき、思っていたよりも大勢の人がいて、レインボーの旗が風に揺れていた。
1時間のセレモニー、青森にゆかりの人たちや、パレードを支えている人たちのスピーチが続く。
生島代表との「いくいくコンビ」が急に呼ばれて、前に立つ。
ここにもHIV陽性者はいる。いつかその人たちが住みやすい街になるように声を上げた。

東京のパレードとの違いは、人数だけではない。
ビートの効いた音楽が、大音量で流れているだけで、街は盛り上がっていない。
歩いていて、ヒシヒシと感じる冷たい空気感。
多くの人たちは窓枠の内側で、そっと見ている。
窓は空いているのに誰も見えない。沿道にもほとんど人影がない。
それでも地元の林檎屋さんや洋品店の人たち、
通りすがりの人たちが、手を振ってくれた。
笑顔で応援してくれる人たちがいると、大盛り上がりになる。
レインボーの小旗やプラカードが一斉に踊りだす。
県庁や公安や赤十字の前では、時間をかけて存在をアピールした。
日曜日なので、いるのかいないのかはわからないが、
きっと聞いている人たちはいるのだろう。そしていつか声が届くのだろう。

外国の人たちが、親指でグーをしてくれる。
そんな些細なことが嬉しい、僕も認められている感じがした。
心がいっぱいになり、涙が溢れそうだった。
一番感動した場面は、代表の翔子さんが、
沿道で応援してくれる女性と抱きあって、気持ちを交わした瞬間。感動…。
キラキラしていて、素敵だった。ぐっと涙を堪えた。
青森に来て初めて「大切な活動だ」と言ってくれた人らしい。

後半、通りかかったバスの中で、男性が親指を下にした。
拡声器を通して、「青森には差別があります」と声が上がった。
「Osora ni Niji wo Kake Mashita」には、何度も攻撃があったのだそう。
それでも「ここで生きていること」を発信を続けていることで、
確実に芽吹き始めている。そう感じた。
100人を超えたこと、もうこの勢いは止まらない。
いや止めてはいけないのだと思う。
青森でできたら、全国どこでもできるということ。
来年は何人になるかな。沿道にはもっと大勢の人たちがいるかな。
青森の力になることには、大きな意味がある。来年こそ、ぜひご一緒に!DSC_0279.JPG
posted by いく at 16:32| Comment(0) | +@…陽性者の視点から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月28日

57歳の卒業

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僕には長い間抱えていたキズがあった。大学中退である。
単位を落として、卒業が見込めなくなったとき、
内定が決まっていた会社に報告をしたら、
二部学生であったこともあり、仕事をしながら卒業を目指したらどうかと、勧められた。
条件は一つ、卒業できていないことを口外しないこと。
しかし営業という仕事は、そんな甘いものじゃなかった。
結局半年後、泣く泣く中退を選んだ。
そして僕の心の中に、後ろめたさとして残った。

35年越しで、法政大学を卒業。
一昨年から通信教育で目指していた。
学業から何年も離れていると、感覚が戻らない。
法律学科は文字通り、法律の勉強。用語も内容も難しかった。

学位授与式を、父母席から見ていると、
アリーナにいる学生たちが、輝いて見える。ピッカピカなのだ。
57歳最後の日の僕は、少しだけ気後れをしていた。
23歳の時に迎えていたら、どう感じていたのだろう。
式の最中、僕の心は卒業できた喜びと、
もっと若いときにできたのではないかという問いが交錯。
転職を考えるたびに、「中退」の二文字が僕を苦しめた。
ゲストの庄野真夜さんが祝辞で
「今日が一番若い」と言っていた。そうだ、今が一番若い。
心のわだかまりがスッとなくなり、素直に喜べる感覚になった。
校歌を歌っていたら、ウルウル。声が震え、歌えなくなった。

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翌3月25日は、58歳のバースデー。
横浜でユーミンのライブを見て、余韻に浸る予定が、
入金を忘れていたというポカ。
それでも怒りもせず、非難もせず、
隣にいてくれる相方の存在は、本当にありがたい。
ホテルから目の前の山下公園と氷川丸、そしてみなとみらいの景色を眺める。
横浜の街をテクテク歩いて、レナーズのマラサダや、象の鼻アイスを食べた。
そして夕飯は「蟹風船」で蟹三昧。
半身のズワイガニも堪能できたし、甘〜い蟹の刺身もいただいた。
蟹の和風グラタンは最高に旨かったなぁ。
大満足の一日。

あと10年生きられたら、父が天国に逝った年齢になる。
でもできれば20年は生きたいなぁ。
その間に何ができるか。もう一度考えてみよう。
新たな一歩が始まる。
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posted by いく at 04:50| Comment(0) | ぷらっといく。…日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする