2020年01月28日

さあ今年も頑張るぞ。

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伊豆は早くも梅がほころんでいました。(元旦)

新年の挨拶が大変遅くなりました。今年もよろしくお願いします。
大晦日から1泊2日で、恒例の伊豆高原に行ってきました。紅白歌合戦の後半の演出には心をうたれました。レインボーフラッグが国民的な番組で堂々と映される日が来たのですね。同性婚訴訟の中で、国側の弁護団は「想定していない」を繰り返していますが、時代の変化は止められないと思います。今年も頑張って、裁判に力を注ぎたいと思います。東京の第4回期日は2/3㈪に迫りました。
初日の出は残念ながら、雲の中。明るくなって行く空に向けて、今年の健康と平和を祈ってきました。ニュースでは平和という言葉が霞むような事件が起きていますが。

新年の友人たちのSNSを見て、新しい時代になっていくと感じたのは、何人ものセクシュアル・マイノリティの方が、家族や義理の家族にカミングアウトをしたり、幸せな時間を過ごしていることでした。着実に変化のうねりは始まっていますね。
そして1/12、よしのお母様の納骨に行き、義姉と義兄にはじめてお目にかかりました。そして一緒に墓前に。よしの話では、お兄さまから「あの人は誰だ?」と尋ねられたとのこと。思い切って「パートナーだよ」と答えたそう。お兄さまさから「そうか」との返事があったらしいです。こちらも緊張して、助手席のお兄さまに色々とお話することはできなかったけれど、納骨に向かう車中、僕の運転で、助手席にお母様とお兄様に座っていただいたことは、僕らが新たな一歩を踏み出せた瞬間でした。
お母様には最後までふたりの関係を伝えられなかった悔しさが残ります。同性婚が認められても、反対の人はなくならないと思います。それでも今よりは言いやすくなるのは確実です。今年も応援をよろしくお願いします。

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左から。今年の初日の出/フラワーガーデン/城崎海岸/伊豆高原プリン*これはめちゃ旨でした。

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2019年04月15日

口頭弁論が、もう今日になりました。

3/25に還暦を迎えました。皆さんから温かな言葉やプレゼントをいただいて感謝しています。
年度末年度始めに当たり、多忙な日々を過ごしていて、お礼が大変遅くなりました。

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花束やペアもののプレゼント

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還暦だけに赤いものもありました。

今年は、すべての人に結婚の自由を訴訟(同性婚訴訟)の原告になるという、新たな一歩を踏み出しました。折角この世に生を受けて、ゲイとして生まれたこと。糖尿病になったこと。エイズを発症したこと。HIV 陽性者であること。人工透析を受けていること。そのすべてに感謝しています。

お陰さまで、今は幸せな毎日を過ごせていること、それは貴重なことだと思っています。

でもここにたどり着くまでには、苦しんだことも、悲しいことも、悔しい思いも、死にたい気持ちも、いろいろと経験しました。今、ここに生きていることは、奇跡なんだと思います。

ひとつ後悔が残るとしたら、若い頃に、誰がなんと言おうと、自分らしく、自分のやりたいことを選択していたら、もっと違う人生があったかもしれないということです。

自分がゲイとして生まれたことで、長い間、いけないことだと、恥ずかしいことだと、否定的な感情と共に過ごしてきました。次の世代の人たちには、そんな思いをして欲しくない。そのために何が必要か、やはり法律や社会制度の中で、認められることではないかと思っています。

もうひとつは、根強く残るHIV / エイズへの差別・偏見です。診療拒否、施設への入所拒否、会社でも、学校でも、地域でも、理解は進んでいません。僕が原告として発言する、その裏には、必ずHIV のことがあります。HIV 陽性者のことをすこしでも理解してほしい。そんな気持ちを持って望みます。

表だって応援しなくてもいいです。心の中でそっと応援していただければ、その思いはきっと大きな力になりますから。

明日の9:30から傍聴券の配布があります。たぶん抽選になると思います。
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2019年03月04日

190304「あの日の後悔と親孝行」

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あさイチに安田顕さんが出ていて、最新作「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」について話していた。タイトルが衝撃的で、少し目をそむけたくなった。が、タイトルに反して、深い物語だと感じ、興味がわいた。倍賞美津子さんの母親役も見てみたい。紹介映像だけで、泣けてきた。

安田さんが話していたのは、「母親は、子供が生まれてきただけで、それが親孝行と言うが、自分は何もしていない」みたいな文脈だったと思う。

僕の母は、乳がんを患って、5年生存説をクリアして、通院間隔を空けた後、肺がんが再発して、闘病の末、54歳という若さで他界した。今僕はその年齢を超えたが、とても早い死は無念だったろうなと思う。一番下の妹がまだ成人していなかった。

乳がんの手術を受けることになった時、僕は大学生で、卒業間近だった。8月の手術だったと思う。丁度、学生時代最後の夏休み。友人と北海道旅行に行くつもりで、計画を立てていた。母のことがわかった時は、一大事だと感じて、旅行に行かないと宣言したものの、心の中では北海道旅行に惹かれている自分がいた。出発予定日が近づいたとき、母に「こんな機会は最後かもしれない」と泣きついて、結局行くことにした。親孝行どころか、そんな時にまで、母に甘えていた。片胸の全摘だった。後で聞いたことだが、あんなに強い母が、手術前夜、ベッドの中で泣いたそうだ。そんな時にそばにいなかった。

手術が無事に終わって、数年たった頃、母の口からこんな言葉を聞いた。「いく、手術の後の傷口を見るか」慌てて「見たくない」と答えた。あの時の母は、どんな思いでその言葉をかけたのだろう。僕は意気地なしで、傷口を見ることが怖かった。還暦が近くなった今なら、見せてもらうだろうし、その傷口にそっと手を当てたり、頬を寄せるかもしれない。僕自身もいろいろな経験をして、少しは相手の痛みをわかることができるようになった。あの時の母は、僕にその姿のままを受け入れて欲しかったのだろうと思う。けれど、それを無下に断った。でも冷静に考えると、あの当時の僕では、その母の痛みを受け止めきれなかっただろう。見た後で、母が一番悲しむ言葉や態度を見せてしまったかもしれない。

しかし母が亡くなった後、僕はずっと、あの日、母の無くなった片胸を見なかったことを後悔していた。自分が成長するに従って、その後悔は大きくなっていたような気がした。15年くらい前に知り合った女性が、僕の母と同じ頃に、同じ病院で手術を受けていたことを聞いた。そして僕の後悔を話した。その方の言葉が心にしみた。
「いくさん、それで良かったんじゃない?見なかったことがお母さんへの優しさだったんじゃない。お母さんも息子に傷口を見られるよりも、綺麗なままのお母さんを覚えていてもらった方がいいと、私は思うわ」

何だか心の中にわだかまっていた、つらい思いがスーッと楽になった。でもあの時は、本当に怖がっていただけなので、偉そうなことは言えないが、もしも母がそう思ってくれていたなら、それでよかったのかもしれないと思った。僕が母にできた親孝行は、海外旅行のお土産に、黒真珠を買ってきたことくらい。母は喜んでくれていたけれど、今でも生きていたら、本当の意味での親孝行ができたと思う。
それは、僕のゲイがばれたとき「お母さんの育て方が悪かったの?それとも糖尿病が影響しているの?」という母の自責の言葉に、「ただたまたま好きになった人が、男性だっただけだよ」とごまかした。今なら「お母さんは何も悪くない。そして僕も悪くない。ただ僕がゲイだったというだけだよ」ときちんと話せる。「お母さん、僕をゲイに生んでくれてありがとう。素敵なパートナーに恵まれて、本当に幸せだよ」と天国に向かってつぶやいた。
posted by いく at 01:11| Comment(0) | ぷらっといく。…日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする