2012年04月19日

僕のはじめて物語2「ユア ヒット パレード」

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僕は何を隠そう、すごいチャートマニアです。
元々好きなことには、根を詰め、とても几帳面な性格。
やり始めるととことんやるタイプ。
チャートのチェックは、僕の性格にぴったり。IMG_1340.JPG

IMG_1336.JPG中学2年の頃、同級生の女子から、ラジオを勧められて、
確か文化放送にチャンネルを合わせたのが、始まり。
落合恵子さんの番組で、ビートルズ特集を聞いたのが最初でした。
あの時の、とても新鮮な気持ちは、記憶の片隅に今でも残っています。
その流れで聞き始めたのが、「ユア ヒット パレード」。
1955(昭和30)年からスタートした長寿番組で、
アメリカンチャートの影響を受けながらも、
映画音楽がとても強いチャートで、フランチポップスやイタリアの曲も
ランクインするのが特徴的で、とても品のある番組でした。
何しろ最初4年間は年間1位に、「エデンの東」が輝いているくらいですから…。
またお勧めの新曲コーナーがあって、
そこで紹介されると、翌週必ずチャートに入ってくる。
他のチャート番組とは一線を画していたように思います。
映画の紹介コーナーがあり、試写会の招待もありました。
僕も随分、この番組にはお世話になって、
当選確率も高く、相当な数の試写会に行った思い出があります。
リスナーもとても優しい人たちが多かったような気がします。
番組のファンクラブもありました。

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1973(昭和48)年9月24日のチャート(937回)から始まっている。(下記参照)
たぶん何度も清書をしたのでしょう。大学ノートの最初3ページが破られている。
Billboardチャートの記録が、同じ年の10月27日付から。
急に洋楽に目覚め、チャートの記録が始まっていました。
当時は毎週ラジオにかじりついてたなぁ。
今度はそのBillboardチャートのことも書こうと思います。

では僕が最初に聞いた「ユア ヒット パレード」1973(昭和48)年9月24日付
1位 007死ぬのは奴らだ/ポール・マッカトニー&ウィングス
2位 イエスタディ・ワンスモア/カーペンターズ
3位 レイン・レイン/サイモン・バタフライ
4位 キャン・ザ・キャン/スージー・クワトロ
5位 タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング/ダイアナ・ロス
6位 さよならを教えて・フランソワーズ・アルディ
7位 太陽の当たる場所/エンゲルベルト・フンパーディング
8位 希望の明日/クリント・ホームズ
9位 嘆きのジプシー・ローズ/トニー・オーランド&ドーン
10位 「サマータイム・キラー」のテーマ
11位 ブラザー・ルイ/ストーリーズ
12位 「高校教師」のテーマ
13位 ヤング・ラブ/ダニー・オズモンド
14位 オールナイト/リンジー・ディ・ポール
15位 ギヴ・ミー・ラブ/ジョージ・ハリスン
16位 土曜の夜は僕の生きがい/エルトン・ジョン
17位 小さな愛のワルツ「ロイビーンから」/アンディ・ウィリアムス
18位 落葉のコンチェルト/アルバート・ハモンド
19位 ゴーイング・ホーム/オズモンズ
20位 アメリカンバンド/グランド・ファンク・レイルロード


posted by いく at 02:09| Comment(0) | 僕のはじめて物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月01日

僕のはじめて物語1「ビルマの竪琴(1956年)」

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「ビルマの竪琴」は僕がはじめて見た邦画です。
小学生の頃、近くの公民館か児童館で見ました。
ラストシーンで、ただただ涙が止まらなかったことを覚えてます。
「男子たるもの人前で泣くものではない」という教育が主流でした。
泣き虫だった僕も、母から簡単に泣くんじゃないと言われていた記憶があります。
流れおちそうな涙を何とかこらえようとしていましたが、
映画館と違い、余韻の時間もなく灯りが付いて、
「あ〜佐藤、泣いてやんの!」と友だちに笑われしまいました。
そのことは長い間、心の奥に深い傷となって残ったのです。

今回DVDで、見直してわかったことは、
僕がラストシーンとして記憶していた水島上等兵(安井昌二)と
井上隊(隊長は三國連太郎)の別れのシーンはラストではなかったこと。
たぶんそこから涙を堪えるのに一生懸命で、画面を見てなかったと想像できます。
安井さん格好良すぎます。見とれてしまった。
三國さんも若い頃はハンサムで、息子の佐藤浩市とだぶるのです。

作風は古さを感じますが、とても良い映画だと思います。
ただ俳優の台詞が早口で、何を言っているのか掴めない場面も多々ありました。
今回は自宅でしたので、思う存分涙を流しながら、
最後までしっかり見ました。

人生はつくづくわからないものだと思います。
自分の人生にも「たられば」はないのですが、
やはり分岐点はあります。
自分が思っていた道と、最終的に進んだ道が違ったとしても、
それは自分にとって、選んだ道と信じて生きていくことが
大切なのだと…。改めて考えさせられました。

僕が糖尿病を患ったことも、
早く両親と死に別れたことも、
自己破産をしたことも、
HIVに感染したことも、
人工透析を受けていることも、
そして今の相方と知り合えたことも、
妹たちや素敵な友人たちに囲まれていることも、
全てが僕にとって必要なことだったのだと、そう思います。
そして明日からも、また一歩前に進んで行こうと考えています。

posted by いく at 08:05| Comment(0) | 僕のはじめて物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月23日

僕のはじめて物語0「ブログ」

僕のHIV感染がわかったのは、1997年4月の結核でした。
つまりHIV感染してエイズ患者(発症した)ということです。
丁度1996年頃にカクテル療法が確立されて、治療に光が差し込んでる時代でした。
その時、僕は個人的にいろいろな経験をしたのだけれど、
周りの人たち、特に家族やパートナーに恵まれていて、今の僕があります。

そして2007年からmixiを始めました。
生きている証しとして何かを残したいという一心でした。
生きている意味は何だろうと考えた時、
ゲイであることやHIV陽性になったことを外して考えるのは難しかった。
避けて通れば、僕自身を否定することに繋がってしまうから…。
自分の個人情報は気にしながらも、積極的に発信してきたつもりです。
ある友人とのやり取りで、そこまでしているのなら「ブログにしたら?」
と言われたことがあります。
でもそこまでは…と思ってました。
mixiにいろいろな変化があって、今回ブログを立ち上げようと考えたのです。

以前mixiのコミュニティで、
HIV感染をした時に、家族がそのことを受け入れてくれなくて、
生きる気持ちを失ってしまった人に出会いました。
その人に僕は何もできずに、結果として追い詰めてしまったことがあります。
HIVは早期発見ができれば、治療ができる病気になりました。
そういう中で、失望や絶望をして、生きる気持ちが弱くなったり、
心のどこかに大きな穴が開いてしまっている人たちが今でもいます。
でもそんなことがあってはいけないと僕は考えています。
NHK教育のETV特集「HIVと生きる」の取材を受けたことも影響しています。
顔出しで、全国放送、出る以上は映像処理をしたくないと思ってました。
僕を知っている人たちに噂話で終わって欲しくなかった。
少しでも多くの人たちの健康を守りたいのです。

もし僕のブログを読んで、何かを感じてもらえるなら、
傍にいるかもしれないHIV陽性者のことや、
セクシュアルマイノリティのことを考えてみて欲しい。
もうすでに一緒に生きているのだから…。

タイトル「ぷらっと行く。」は、mixiネーム「+@19」に由来しています。
元々、+の前には大切な相方がいて、その後に僕がいるという意味です。
HIV陽性者ということで「+」、「19」は自分の名前から。
「Positive Thinking」で生きていこうなどの意味が込められています。
友達のとん助さんから「ぷらっといくって考えましたね」と言われた時、
「それを頂きます」って答えて、今回ブログに使わせて頂きました。
ご覧のようなカテゴリーで書いていくつもりです。
できれば楽しんで、末長くお付き合い頂けると嬉しいです。
posted by いく at 01:24| Comment(0) | 僕のはじめて物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする