2019年01月06日

190104「婚姻届提出」

5年前に友人の同性カップルが「婚姻届」を役所に提出した。
その勇気ある行動に励まされたし、僕らもいつかしたいと思っていた。

2019年1月4日、よしとふたりで婚姻届を提出することができた。
今の日本では、同性婚が認められていない。
一部の自治体で、パートナーシップとして認める動きがあるけれど、
法的な拘束力があるものではない。

今年の2月中旬に、同性婚ができないことは、
「日本国憲法第十四条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地に
より、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」
に反すのではないかという、国の賠償責任を問う裁判が各地で始まる。
いろいろと悩んだけれど、僕らは集団訴訟の原告の10組のうちの1組として、立ち上がることにした。

NHKの取材が入ったため、事前に同性の僕らが婚姻届を提出することは役所に知らされていたが、
当日の窓口の係員の対応は、素晴らしかった。
先ずは、婚姻届にサッと目を通し、必要事項をチェックした上で、
免許証での本人確認のため、相方にマスクを外すように声をかけた。そして呼び出されるまでしばらく待機。

長い待ち時間が続く。僕の心の中は、不安と期待が入り混じっていた。
あまりに長いので、「もしかして認めますって、言われたりして」と、
そんなことは決してないのに、そばにいる人たちと話していたりもした。

窓口に呼びだされた。係員は、不受理の理由について説明してくれた。
書類上に不備があったので、それは修正することにした。
それで不受理になる理由が、婚姻届が同性カップルによって提出されたことだけとなった。
区役所としての判断を添え、郵送されるとのこと。区長印も押されているという。

続いて、係員が「婚姻届を提出された証として、結婚記念カードを発行できますが、どうなさいますか」と。
僕は「いただけるのですか。ぜひお願いします」と答えた。
そのカードには「ご結婚おめでとうございます。」の文字があり、
婚姻届提出日 ’19.1.-4 ○○区 というスタンプが押されていた。
係員の目は、やさしく微笑んでいて、ふたりの顔をしっかりと見ていた。
その目の奥に、今の日本国憲法の判断では、婚姻届は不受理になりますが、
私はあなた方を祝福しています。精一杯の気持ちですと書いてあったように感じた。ウルッとした。

不受理って、大きな壁で、冷たい響きがしていたが、
実は現場サイドでは、同性の婚姻について様々な意見があるのかもしれない。
今回、提出してみて感じたことは、婚姻届って、こういうことなんだ。
社会で認められることって、大切だな。結婚記念カードだけでもこんなに幸せになれるのだから、
国から本当に婚姻を認められたら、きっと号泣してしまうに違いない。
他の9組も婚姻届を提出すると思う。同性という理由で婚姻ができない不平等が、社会の問題になれば嬉しい。
5年前のふたりも同じような気持ちだったのだろうか。やっと続くことができた。

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2017年08月19日

とりあえず

無事に退院しました。仕事にも復帰しています。詳しくは改めて報告します。
posted by いく at 11:30| Comment(0) | ぷらっと呟く。…つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月08日

「故郷を帰れる街にしたい」東京レインボーパレード

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「故郷を帰れる街にしたい」青森の友人、翔子さんの言葉である。
先月、青森のレインボーパレードを歩いたとき、東京のそれとは違う緊迫感を感じた。
表に出るということは、批判や攻撃も全部引き受けることになる。
想像を超える批判や攻撃が押し寄せ、潰されそうになることもある。
地方はその圧力が強い。だからこそのメッセージ。
そのメッセージが消されてしまった。
(詳しくは公式HPで。http://tokyorainbowpride.com/news/notice/4177

東京レインボーパレードの共同代表も友人で、このままにしておけなかった。
この出来事をお互いの活動にとって一番良い形にするには、どうしたら良いか。
僕の答えは、そのプラカードを持って、東京のパレードを歩くということ。
そこで翔子さんの意向を聞いて、持って歩くことを提案した。
結果として、僕らに託してもらうことになった。
僕らと同じように考えていた人は、大勢いて、
「故郷を帰れる街にしたい」のプラカードをいくつも見かけた。
プラカードを見て、「青森の?」「翔子さんの?」と声をかけてくれたり、
記念撮影をして、翔子さんに送りたいという人たちが多かったこと…。
メディアの人たちにもこの言葉は響いたようだった。
https://mainichi.jp/articles/20170507/k00/00e/040/184000c

4番目「LGBTの家族と友人をつなぐ会」のフロートを歩いた。
沿道からもいっぱいの応援をもらったが、
一緒に歩いている人たちにも青森の思いを伝えたかった。
23番目のフロートが到着するまで、GOALでプラカードを持って迎えることにする。
何人の人たちとハイタッチをしただろう。こんな経験は初めてだった。
自分たちのために歩くことも大切だが、
こうして誰かの思いを抱きながら歩くことって、もっと大切なのかもしれない。
パレードに参加できない人たちや、
当事者でもパレードに反対の人たちもいる。
故郷で生きづらく、都市に出てきている人たちもいる。
故郷を出ることができない環境で、辛い思いを抱えている人たちもいる。
東京に住んでいたって、本当に自分らしく生きられていない人たちもいる。
その人たちも含めて、生きやすい社会を目指さなければ、パレードの存在意義は薄れる。
そうでなければ、LGBTはブームで終わるだろう。

東京のパレードは、東京の人たちためだけのものではない。
そのニュースは、全国、いや全世界に届いている。
だからこそ故郷がある人にとっても、東京が故郷の人にとっても、
「故郷を帰れる街にしたい」は大切なメッセージだったのではないか。
このプラカードを見て、涙が止まらなかった人がいたと聞いた。
そう感じてくれた人が一人でもいたことは、歩いた甲斐があった。

しかし未だに「故郷を帰れる街にしたい」が外された意味がわからない。
ひとつだけ外すということはあってはならないことだと、僕は思う。

(企業の参加も多かった。「RENT」でお世話になっているシアタークリエの小嶋さんと)
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posted by いく at 04:02| Comment(0) | ぷらっと呟く。…つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする