2017年08月06日

また入院中。

夏本番というのに、入院中。

7月最終週の週末から、しつこい咳が出ていて、薬を飲んで少し良くなりかけていた先週の月曜日の夜、豚肉となすの味噌炒めに花かつおをかけて、食べようと思った瞬間。花かつおを吸い込んでしまい、誤嚥。
ヒラヒラの花かつおは、厄介です。気管に貼り付いて、咳がぶり返してしまった。
火曜日の仕事中、咳が止まらず、早退を勧められるくらい。
水曜日にも咳がひどかったので、抗生剤の点滴を受けるため、入院することになった。
金曜日に検査で、マイコプラズマが出て、その夜から違う抗生剤を点滴。咳が急激に少なくなり、改善した。
マイコプラズマ肺炎の症状は、しつこい咳。もしかすると7月最終週に感染していたのかもしれない。マイコプラズマはウィルスと細菌の中間の大きさの微生物とのこと。外側に膜がないので、ウィルスに効く抗生剤が効かないらしい。点滴の内容を変えてから、急激に咳が回復したのをみると、元々マイコプラズマの咳だったのかもしれない。
咳は良くなったのだが、昨日から膨満感がひどく、食べ物を受け付けなくなってしまった。
今日は食べていないのに、吐き気がひどく、胃液を戻してしまう。
更に入院してからの長い便秘。たぶんその二つが相まって、今の最低の体調になった。
看護師さんと相談して、便秘解消のために、浣腸を用意してもらった。で、浣腸をしようと思ったら、便意をもよおして、無事に排便。少しすっきり。
只今、相変わらずのムカつきと闘っています。
昨夜は、いたばしの花火大会を遠目に見たり、今朝はボルトのラストランを応援したりして、それなりに楽しんでいます。ただこの病院の食事がまずくて、たえられない。早く退院したいよう。20170806170916285.jpg20170806170856839.jpg20170806170957064.jpg
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2017年05月08日

「故郷を帰れる街にしたい」東京レインボーパレード

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「故郷を帰れる街にしたい」青森の友人、翔子さんの言葉である。
先月、青森のレインボーパレードを歩いたとき、東京のそれとは違う緊迫感を感じた。
表に出るということは、批判や攻撃も全部引き受けることになる。
想像を超える批判や攻撃が押し寄せ、潰されそうになることもある。
地方はその圧力が強い。だからこそのメッセージ。
そのメッセージが消されてしまった。
(詳しくは公式HPで。http://tokyorainbowpride.com/news/notice/4177

東京レインボーパレードの共同代表も友人で、このままにしておけなかった。
この出来事をお互いの活動にとって一番良い形にするには、どうしたら良いか。
僕の答えは、そのプラカードを持って、東京のパレードを歩くということ。
そこで翔子さんの意向を聞いて、持って歩くことを提案した。
結果として、僕らに託してもらうことになった。
僕らと同じように考えていた人は、大勢いて、
「故郷を帰れる街にしたい」のプラカードをいくつも見かけた。
プラカードを見て、「青森の?」「翔子さんの?」と声をかけてくれたり、
記念撮影をして、翔子さんに送りたいという人たちが多かったこと…。
メディアの人たちにもこの言葉は響いたようだった。
https://mainichi.jp/articles/20170507/k00/00e/040/184000c

4番目「LGBTの家族と友人をつなぐ会」のフロートを歩いた。
沿道からもいっぱいの応援をもらったが、
一緒に歩いている人たちにも青森の思いを伝えたかった。
23番目のフロートが到着するまで、GOALでプラカードを持って迎えることにする。
何人の人たちとハイタッチをしただろう。こんな経験は初めてだった。
自分たちのために歩くことも大切だが、
こうして誰かの思いを抱きながら歩くことって、もっと大切なのかもしれない。
パレードに参加できない人たちや、
当事者でもパレードに反対の人たちもいる。
故郷で生きづらく、都市に出てきている人たちもいる。
故郷を出ることができない環境で、辛い思いを抱えている人たちもいる。
東京に住んでいたって、本当に自分らしく生きられていない人たちもいる。
その人たちも含めて、生きやすい社会を目指さなければ、パレードの存在意義は薄れる。
そうでなければ、LGBTはブームで終わるだろう。

東京のパレードは、東京の人たちためだけのものではない。
そのニュースは、全国、いや全世界に届いている。
だからこそ故郷がある人にとっても、東京が故郷の人にとっても、
「故郷を帰れる街にしたい」は大切なメッセージだったのではないか。
このプラカードを見て、涙が止まらなかった人がいたと聞いた。
そう感じてくれた人が一人でもいたことは、歩いた甲斐があった。

しかし未だに「故郷を帰れる街にしたい」が外された意味がわからない。
ひとつだけ外すということはあってはならないことだと、僕は思う。

(企業の参加も多かった。「RENT」でお世話になっているシアタークリエの小嶋さんと)
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2017年04月30日

ぷらっといく。青森レインボーパレード

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2017年4月23日、
4回目を迎える青森レインボーパレードを応援するために僕は青森にいた。
お昼頃、パラッと雨が落ちてきたので、心配したが、気持ちのいい天気だった。
パレードを始めたのは、友人カップル。DSC_0283.JPG
最初の年は、3人で歩いた。地元の風が冷たかったと聞いている。
2年目が24人、昨年は45人。そして今年は101人だった。

駅前に着いたとき、思っていたよりも大勢の人がいて、レインボーの旗が風に揺れていた。
1時間のセレモニー、青森にゆかりの人たちや、パレードを支えている人たちのスピーチが続く。
生島代表との「いくいくコンビ」が急に呼ばれて、前に立つ。
ここにもHIV陽性者はいる。いつかその人たちが住みやすい街になるように声を上げた。

東京のパレードとの違いは、人数だけではない。
ビートの効いた音楽が、大音量で流れているだけで、街は盛り上がっていない。
歩いていて、ヒシヒシと感じる冷たい空気感。
多くの人たちは窓枠の内側で、そっと見ている。
窓は空いているのに誰も見えない。沿道にもほとんど人影がない。
それでも地元の林檎屋さんや洋品店の人たち、
通りすがりの人たちが、手を振ってくれた。
笑顔で応援してくれる人たちがいると、大盛り上がりになる。
レインボーの小旗やプラカードが一斉に踊りだす。
県庁や公安や赤十字の前では、時間をかけて存在をアピールした。
日曜日なので、いるのかいないのかはわからないが、
きっと聞いている人たちはいるのだろう。そしていつか声が届くのだろう。

外国の人たちが、親指でグーをしてくれる。
そんな些細なことが嬉しい、僕も認められている感じがした。
心がいっぱいになり、涙が溢れそうだった。
一番感動した場面は、代表の翔子さんが、
沿道で応援してくれる女性と抱きあって、気持ちを交わした瞬間。感動…。
キラキラしていて、素敵だった。ぐっと涙を堪えた。
青森に来て初めて「大切な活動だ」と言ってくれた人らしい。

後半、通りかかったバスの中で、男性が親指を下にした。
拡声器を通して、「青森には差別があります」と声が上がった。
「Osora ni Niji wo Kake Mashita」には、何度も攻撃があったのだそう。
それでも「ここで生きていること」を発信を続けていることで、
確実に芽吹き始めている。そう感じた。
100人を超えたこと、もうこの勢いは止まらない。
いや止めてはいけないのだと思う。
青森でできたら、全国どこでもできるということ。
来年は何人になるかな。沿道にはもっと大勢の人たちがいるかな。
青森の力になることには、大きな意味がある。来年こそ、ぜひご一緒に!DSC_0279.JPG
posted by いく at 16:32| Comment(0) | +@…陽性者の視点から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする