2015年07月06日

ぷらっと聴く。雨の日のひとりごと〜八神純子  

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2015年7月3日金曜日。東京は梅雨の雨の中。
ビルボード東京での1曲目。「サマー・イン・サマー」が
原曲より少しテンポを落として、大人の海に連れて行ってくれた。

デビュー曲「雨の日のひとりごと」大ヒット曲は「みずいろの雨」
野外ライブではいつも雨が降る。田園コロシアムもそうだった。
雨の似合うアーティスト、八神純子。デビューしたときから大好きだった。勿論今でも。

何年か前に日本での活動を復活させたその時も足を運んだが、
ビルボード東京でのライブ
「八神純子 with 後藤次利 “The Night Flight 2”feat. 松原正樹、村上“ポンタ”秀一、佐藤準」
凄い面々の最高のライブと期待が高まる。
病欠の松原さんに代わり、急遽参加した松野”Kay-Ta”啓太さんのギターで始まった
「想い出のスクリーン」で、なぜだか涙が零れた。
「ポーラースター」まで、あっという間に世界に引き込まれる
若い頃の伸びのある声は健在で、人生の年輪を重ねている。
演奏も素晴らしい。主張しすぎないそれぞれが心地よい。
松野さんも素晴らしかった。時にはカルロス・サンタナのようでもあるし、
リー・リトナーでもあり、ジョージ・ベンソンでもあった。

カバー曲も、ひとつひとつ丁寧に歌い上げてくれた。
「サマータイム」も「スムーズ・オペレーター」も素敵。

後半の「I’m A Women」「パープル・タウン」「みずいろの雨」でノックアウト。
そして後藤次利作曲のライブのタイトル「夜間飛行」のために
カーテンが開き、夜空に浮かんだ摩天楼が現れる。

♪幸せになるために たそがれの街を 心あふれ出す 
思い出 抱いて 離れていくのよ …

アンコール「ラブシュープリーム」「Mr.ブルー」の弾き語り。
夢のような時間が過ぎていく。
夜空に吸い込まれそうな感覚になる。

八神純子がアメリカに渡り、音沙汰の少ないときに、
僕はHIVに感染している。そして今、病気を持ちながらも、
大切は相方にめぐり逢い、日々を過ごしているが、
感染前の音楽に触れると、不思議と辛かった思い出が湧いてきたりする。
やはり心のどこかで後悔しているのかな。
でも、あの日があったから、今の幸せがある。だから嬉しい、優しい涙になる。
アカペラで「Smile」を歌ってくれた。
♪Smile その微笑みがあなたに降りそそぐ太陽になるから…
ラベル:八神純子

2015年05月13日

胆嚢摘出

一昨日から胆嚢摘出手術のため、入院しています。1月に発作を起こしたので、今後のことを考えて、手術に踏みきりました。
無事に手術は終わり、今日はもう歩くようにしていますが、腹筋を使う動作は痛いです。
  • 20150513154423642.jpg
posted by いく at 15:44| Comment(0) | ぷらっといく。…日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月26日

+@ 隠れるという選択

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いよいよ東京レインボーウィークが始まった。
昨年よりさらに盛り上がっている感じがする。
渋谷区でパートナーシップ条例が採択されたからだと思う。

この動きを良いとは思っていない人たちもいるだろう。
セクシュアリティがLGBTQではない人たちだけでなく、
同じ立場の人たちの中にも反対意見がある。
今までは、誹謗中傷や揶揄されるとき以外に
話題になることや議論されることが少なかった。
あらゆる意見が飛び交っている今は、大切な時なのだと僕は思う。

先頭に立つ人たちへいろいろな声があるようである。
東京のパレードは、そうした声に潰れてしまった経験をしてきた。
万人が納得のいく形になることは、ないのだから、
今の形を続けていくことを応援しようと思う。
そしていつか多くのLGBTQの人たちが、笑顔になる環境になることを望んでいる。

「AIDS IS NOT OVER」のシンポジウムに出た。
他の出演者の話を聞いているうちに、病気のことを隠して生きていた時代が
僕にもあったことを思い出していた。
1997年に感染がわかった頃のゲイバーでの話。
あるお店に暗がりがあり、僕はその向かい側のお店によく飲みに行っていた。
当時はマスターにもお客さんにも、
感染している事実を全く話していなかった。
排除されることが怖かったのである。
そして向かいのお店から流れてきたお客が、
開口一番「エイズ持ちが来てもらっては困るんだよな」と
マスターに他店での不満を訴えてきた。
「怖くて、おちおち遊んでいられない」と言うのだ。
あの時の僕は、ただただ怯えていた。ひっそりと、わからぬように。
そして何の抗議もしなかった。
何も言わなかったのだから、その言葉を暗に認めたことになる。
でも正直、勇気がなかった。

18年たって、僕はHIV陽性で、エイズを発症していたと、人前で話すようになった。
その背中を押してくれたのは、一向に変化が見られない、社会の受け入れだった、。
パートナーの条例が認められることも、
年々拡がっていくLGBTQの人たちの笑顔とアライの人たちの存在も、
HIVの治療がこんなにも進んで、生き延びられることも、
多くのHIV陽性者が自分の会社や身の回りで病気のことを伝えていることも…。
だから今は叶っていないことでも、
続けていれば、形になるのかもしれないと思っている。
誰にも話せないで、ひっそりと生活している人が大勢いる。
だからこそHIV陽性者として存在して、一緒に生きていることを感じてもらおうと思っている。
posted by いく at 03:23| Comment(0) | ぷらっと呟く。…つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする